2011/07/22 (Fri)
光を反射する水面。
風に揺れる若葉。
移り変わる空。
そして、鮮やかな宝石。
物心がついた時から、美しいモノが好きだった。それは、輝きであったり、色彩であったりしたけれど、心を動かすのはどれも自分が持たない「美しさ」を持つモノだったように思う。
それらが持つ「美しさ」は、色彩一つとってもそれ以外に同じものなどなく、私を魅了してやまなかった。
何をするでもない。
ただ、私の前に在って、その存在全てを晒されるだけで、その時の感情の全てを奪われる。
そこには何の干渉もなく、一つの空間が築かれているかのような感覚すら覚える。
しかし、最初は目に見える「美しさ」だけを好んでいたが、いつの頃からか目に見えない、音としての「美しさ」をも好むようになった。
それは、高い音だとか低い音というわけではなくて、言葉の意味だとか音の繋がりといった、使い方一つで変化する「美しさ」。
言葉の「美しさ」は、人によって紡がれて、自然によって生み出された「美しさ」とは違った〝彩〟を持っている。
言葉は人が思い、感じていることの全てを音にすることは出来ないけれど、ほんの僅かであっても相手に伝えることが出来る。
嬉しさや感動、悲しみ、怒り。
音にした言葉は人を癒し、傷つけるけれど、それも言葉が持つ〝彩〟なのだろう。
「・・・・私はそう考えるのだが、君はどうだね、斎条(さいじょう)君」
「・・・・・・あなたは、いつも突拍子のないことを言い出しますね、綾織(あやおり)先輩」
いつものように美術室で絵を描いていると、いつものように先輩がやってきて、いつものように突拍子のないことを言い出す日常。
からりと晴れた空に誘われるように開けた窓から流れてくる、草のにおいを含んだ風が、ゆらゆらと白いカーテンを揺らして、油絵具の匂いを少しだけかき消した。
先輩は不思議な人だ、と私は思う。
いきなり変なことを言い出すから、学校では少々・・・いや、だいぶオカシナ人だと思われているが、彼の書く文章はとても綺麗で、色がある。
文章に色があるというのはおかしいかもしれないが、先輩の書いたものを読んでいると見えるのだ。
淡い青であったり、色鮮やかな黄色であったり、燃えるような深紅が。
驚くほど多彩なその色に、私は引き込まれずにはいられなかった。
画家がパレットで色を作り、個性ある絵を描くとするならば、彼は画家でその文章は名画となるだろう。
私は筆をキャンパスに走らせる。
目に見えない音を拾うように、優しく丁寧に、その調和を崩してしまわないように。
彼の紡ぐ〝彩〟をカタチにするために。
「君はよい目を持っていると、私は常々思うよ」
窓側に座っていたはずの先輩の声が、すぐ後ろで聞こえたので、私は驚いて筆を止めた。
ゆっくりと振り返れば、先輩が描きかけの絵を見て目を細めている。
「君の絵は、本質を描く」
そう言って伸ばされた指が、絵に触れるか触れないかというところで止まる。
「私が『美しい』と感じた・・・音にした全てが此処にある」
向けられた言葉が〝彩〟を持つ。
交わる視線に、震えそうな声を押さえ込んで口を開いた。
「・・・綾織先輩の言葉には、色があります。私はソレを描かずにはいられない。あなたの紡ぐ音を、その〝彩〟をカタチにしたくて仕方がないんです」
今も、先輩の音を描きたくてしょうがない。
だけど、彼の瞳に映る色から目を逸らすことも出来ない。
今日の空のような透き通る青に、穏やかな橙色の――
「・・・・・っ」
「そこまで、視なくてもいいんだが」
突然大きな手で視界を覆われ、見えなくなった目の代わりに、先輩の苦笑した声が聞こえた。
「・・・視え過ぎるのも困ったものだ。私自身を暴かなくてもいだろうに」
「・・・・・・・すみません」
「まあ、君ならば仕方がないだろう」
離れた熱を追うように目を開ければ、優しく微笑む先輩が見えた。
桜のように淡くて、陽だまりみたいに暖かい。
「・・・先輩はずるいです」
「何故?」
「私は先輩といると絵を描かずにはいられない。でも・・・・あなたといると、その色から目を逸らすことができない。もっと、視ていたくなる。もっと、欲しくなる」
貪欲に求めてしまいそうになる。
「君にそこまで想われるのも、悪い気はしないな」
「・・・・・・そんなことを言えるのも、先輩だけですよ」
どこかずれている先輩に脱力しながらも、前から気になっていたことを尋ねてみた。
「先輩は将来、小説家になるんですか?」
「・・・そうだな、売れなくてもいいから一冊は出してみたいと思う」
「売れなくてもって・・・先輩が書く本は売れますよ、絶対」
「・・・そうか。なら、表紙は君に頼むとしようかな。――斎条彩(あや)君」
「任せてください。――綾織詠司(えいし)先輩」
妙に改まった顔を合わせると、次第に笑いを堪え切れなくなって、二人同時に噴き出した。
そんな私たちの笑い声は、放課後の狭い美術室にしばらく響いていた。
巧妙な文章と多彩な色彩の表紙が織り成す、「綾織りの彩」という本が大反響を呼ぶこととなるのは、もう少し先の話。
綾織先輩の名前を修正(2014.5.10)