2007/04/30 (Mon)
「だが私の主はお前だけだ。何があっても変わらない。それだけは憶えておいてくれ」
紅く深い瞳に鈴は魅せられていた。暖かい、美しい紅い瞳に。
誰も悪いわけではない。
自分がこんな気持ちになってしまうのは・・・・・
紅簾の言葉は、不思議だった。自然と安心してしまう。
しかしその瞳は、今の鈴には胸を押しつぶすかのような感覚を与えるだけ。
あまりにも似ているから・・・・・
「どうした。まだ調子が良くないのならば休むといい」
鈴の戸惑いを感じたのか、紅簾は部屋から出て行こうとする。それを、鈴は反射的に紅簾の袖をつかんで止めていた。
「ご・・・ごめんなさい」
ぱっと手を離すと、紅簾は鈴の隣に腰を下ろした。
心細くなんてないはずなのに・・・・・・
恥ずかしくなって鈴が俯くと、ぽんぽんと頭を撫でられた。それが心地よくて懐かしくて鈴は紅簾の肩に体を預けた。
この温もりさえも兄と同じ。暖かい唯一の温もり。
「兄さま・・・・・」
口に出してしまうと、分かっていても悲しくなってしまう。
涙が溢れそうになって慌てて拭おうとすると、その手を紅簾が止めた。
「・・・・・泣いてしまえ。気が済むまで泣くといい」
その言葉が呪文だったかのように、鈴の目から次々と水晶のような雫が落ちた。
止まることを知らないように流れ落ちる涙は、紅簾の手に当たって砕ける。
「また・・・・泣いているのだな・・・・・・」
紅簾は砕けた涙を見つめながら、鈴に聞こえないように悔しそうに呟いた。
今の彼は鈴の傍にいることができる。――今までと違って。
そうだからこそ悔やんでしまう。傍にいるからこそ、守ることができなかったことが悔しくてたまらない。
「すまない」
「え?」
鈴は涙をぼろぼろと落としながら、紅簾の顔を見た。
「なんでもない」
やわらかく笑うと、左手で鈴の目を覆った。
「これからのことは、ゆっくり考えればいい。お前がどうしたいのか、何を望むのか、私はそのためにすべてを尽くそう。だから、気が済むまで泣いたら笑ってくれ。それが私の望みだ」
「うん」
それだけが彼の望み――
コンコン
鈴の涙が大分治まった頃、部屋にドアを叩く音が響いた。
「どうぞ。」
鈴が入室の許可を与えると、訪問者が部屋へと入って来た。
闇に溶けるような漆黒の髪を持ち、その瞳さえも夜のような黒。まるで夜そのものがそこにいるかのようだった。
「久しぶりだな。六年ぶりか。」
発せられた声には親しみがこもっていて、警戒心を抱かせない。
それゆえか紅簾も僅かに動いたものの、彼に傷を与える気はないようだ。
「・・・・・・・・」
鈴が黙っていると彼は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「・・・・まさか忘れたと言うのか。あの緑輝く森でのことを。俺はこの六年間一度も忘れたことなどなかったというのに。約束だって忘れなかった。」
そう言う彼の顔には見覚えがあった。
昔、何処かで・・・・・・
――なら約束だ。覚えていろよ、鈴。
記憶と目の前にいる男の姿が重なる。その瞳は昔と変わらずに。
「琉砂・・・・・?」
そう言うと琉砂は朗らかに微笑んだ。
昔たった一人だけの秘密の友達がいた。
鈴が一人で森へ散歩に出かけたとき彼は狩をしており、鈴を獲物と間違えて矢を放ち、矢は外れたものの鈴は湖へと落ちてしまった。
それを琉砂はあわてて助け、いろいろと世話を焼いたのだった。
その時、鈴が自分は誰にも知られない皇女ということを言ってしまったが、琉砂は誰にも言わないと約束してくれた。
そして、友達になってやると。誰も友達がいないのなら友達になってやると言った。
もう一つの約束とともに。
「どうしてこんな所に琉砂がいるの。確かあなたの家は遠いはずよね」
「ああ。だが久しぶりに鈴の顔を見ようかと思って着てみたら屋敷にはいないし、どうしたんだろうと城に忍び込んでみたら、怪しげな気配が漂っていたんでな。これは何かあったんだろうと思って少し調べたんだよ。そしたらここに着いたってわけさ」
「城にって、危ないわよ。それにそんな簡単に私の居場所って見つかるわけ?」
「いや、俺にはちょっとした情報網があってそれを利用した。これでもかなり探したんだぜ。」
自慢げに彼は言う。
その様子を紅簾は静かに傍観していた。